先般、映画俳優のウィル・スミスによる平手打ち事件が大きな話題になりました。アカデミー賞の授賞式の場で、進行役を務めるコメディアン、クリス・ロックがスミスの妻の容姿をジョークのネタにしました。
これに激怒したスミス氏が突然ステージに上がり、ロック氏の顔面を平手打ちしたのです。
この出来事についてネットやSNSでは様々な意見が飛び交いました。総じてアメリカではウィル・スミスに批判的な意見が多く、逆に日本ではスミス氏に同情的なコメントが多いようです。
この背景には暴力に対する拒絶・アレルギー反応の違いがありそうです。米国にはどんな理由でも、誰であっても暴力を容認すれば社会が成り立たたなくなるという共通の危機意識のようなものがあります。
一方、日本は理不尽な暴力事件が少ないこともあり、「盗人にも三分の理」という諺もあるように、加害者の側に存する一定の事情を斟酌するような社会的な土壌があります。
今回の場合であれば、スミス氏も悪いが、あのような品のないジョークを飛ばされたならやむを得ないし、クリス氏にも責められる点があるという見方です。
また欧米では行為と行為者を区別して扱われます。暴力行為とスミス氏という人間とは切り離して扱われます。暴力に訴えたスミス氏は許されないが、ウィル・スミスという人間にまでは批判が及びません。
しかし、日本ではこれが難しく、暴力行為とウイル・スミスという人間を一括りで扱い、時に行為者の人格にまで目線が伸びます。
欧米人は会議で議論が白熱し、互いに丁々発止のやり取りを交わしても、会議が終われば何事もなかったように平然としていることがあります。互いに意見は違うが、相手の人間性までは踏み込まない姿勢の表れとも言えます。
会社の採用や人事評価でも評価すべきなのは応募者や社員の行動や成果のはずですが、日本では応募者の人となりや社員の人物像の方を重視してしまいます。
人材の育成や教育においても改善・指導すべきなのは社員の行動であるにも関わらず、ついつい人間性や価値観を変えようとしがちです。人間性や価値観を変えるのは至難の業であるため、人材育成に苦労することになります。
ハラスメントでも批判されるべきはハラスメントの行為ですが、いつの間にか加害者の人物評価に焦点が当たることもあります。今年の4月からは中小企業にもパワーハラスメントの防止に努める「パワハラ防止法」が適用されます。
パワハラという行為と加害者とされる人物の評価とが渾然一体となっていないか常に意識しながら対応を進めることが求められます。